1.開基

寺伝によると、1232(貞永元)年に天台宗の智観により天台宗の道場として当寺が開基された。名前は號称寺(ごうしょうじ)であった。当時は滋賀県 草津市周辺は比叡山延暦寺の荘園であった。
当時では神の怒りが天変地異を起こし、疫病を流行させるという考えが強くあり、仏教はそのような怨霊や物怪を救済する術として信じられていた。そのため、僧侶は苦修錬行を常に行い、当寺は道場として盛況を極めた。

2.親鸞聖人の逗留

1235(嘉禎元)年、浄土真宗の開祖である親鸞聖人が関東より京都へ帰洛の途中、野洲郡木部の錦織寺を経て、しばしば当寺にご逗留になり、法を説かれた。住職の智観は親鸞聖人の教化に深く帰依し、聖人に教えを請うために度々上洛した。そのような事情のもと、聖人から六字名号を授けられ、善信という釋名を授かった。

3.本願寺と当寺との関係

親鸞聖人が多くの人々を教化した時から日時を経て、本願寺第八代蓮如上人の念仏の教えが京都大谷本願寺を中心として盛んになった。しかし比叡山の宗徒はこれを心良しとせず、1465(寛正六)年に大谷本願寺を襲い、破却した。
難を逃れるために蓮如上人は高弟の金ヶ森(滋賀県守山市)の道西を訪れた。その途中に当寺の津田近江守昌国が上人をかこい、その後しばしば当寺にお立ち寄りになり、説法をお説きになった。昌国はご化導を頂くことにより、上人の弟子となり、光念という法名を賜った。
当寺の現在の本山にあたる興正寺は、1476(文明八)年から住職の経豪が本願寺の蓮如上人のもとに帰属し、本願寺と合併した。(それ以前は寺の名前を仏光寺としていた。)

4.当寺の危機

蓮如上人はしばしば近江の各地を廻り説法を説かれており、当寺も説法所として盛況を極めた。しかし、1509(永生六)年細川高国と足利義澄との戦乱により当寺は破却され、一時空地となった。

5.再建

住職の了永は1574(天正二)年、空地となっていた跡地に一堂を建立し、新たに妙心寺と号し、1592(文禄元)年に本堂を再建した。興正寺門主の第17代顕尊上人より、了永に対して当寺の再建を称え、袈裟一領を与え中興の功を賞した。


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